2017年に東レ株式会社からラプロスという慢性腎臓病の薬が猫用に発売されました。当時は猫ブームがあったとはいえ、猫の薬がテレビのニュースでも扱われたのは、私が知る限りでは初めてのことでした。しかしこのラプロスの有効成分であるベラプロストナトリウムは人間の原発性肺高血圧症の薬であり、それを猫用のパッケージとして発売したものです。獣医師の中には以前からベラプロストナトリウムを猫の慢性腎臓病に使用していた方もいたので、完全な新薬とはいえません。
このように動物医療の市場規模が成長にするに伴い、従来の薬を犬用、猫用にカスタマイズして発売する動きは今後も続くでしょう。それだけでも猫にとってメリットはとても大きいです。猫は犬よりも薬に対して警戒心が高く、うまく薬を飲み込んでくれないことがしばしばあります。飲んだと思ったら薬が床に落ちていた、という経験は猫オーナーであれば、誰しも一度は経験したことがあるでしょう。
必要な薬が猫の性格によって飲めない場合、残念ながら処方を諦めなくてはいけません。猫が楽に飲めるような剤型にするのは、投薬を続ける難易度をさげ、すなわち治療成績を改善させます。代表的な薬に猫用メタカムという薬があります。メタカムはバファリンやロキソニンの有効成分と同じ系統の痛み止めの薬ですが、猫用は液体でさらに甘くなっています。猫は甘みを感じる受容体が舌にないと考えられていますが、実際にはこの甘いメタカムは喜んで舐める猫がとても多いです。
次のアプローチとして本来、人や猫がもっているタンパク質やホルモンを応用して作る薬があります。例えば、ウィルスの増植や腫瘍細胞などを抑える働きがあるインターフェロンというタンパク質があります。インターフェロンはB型肝炎やC型肝炎に対して承認されており、猫のウィルス性疾患にも効果を期待され”ヒト”インターフェロンが猫に使われていました。しかしインターフェロンは体内で作られるものなので、動物種ごとに若干構造(アミノ酸配列)が異なります。そこで開発されたのが”ネコ”インターフェロンであるインターキャットです。上記のように剤型を変えるよりはるかに開発に手間がかかりますが、より本来の構造に近い方が、副作用が少なく、効果が安定すると考えられます。
最後に獣医療発信のオリジナル薬の開発がされている例もご紹介します。2016年の研究になりますが、東京大学が、猫が腎臓病になりやすい原因の1つであるタンパク質を発見しました。AIMというタンパク質が活性化すると、腎臓で死んだ細胞が体内に取り込まれ、腎臓から排除されます。猫はこのAIMの働きが弱いため、死んだ細胞が腎臓に溜まり腎臓病を悪化させる、というのがこの研究の発見です。つまり活性化しやすいAIMを投与することができれば猫の腎臓病の治療成績を改善できる可能性があります。
獣医学には「犬は小さな馬ではない、猫は小さな犬ではない」という言葉があります。獣医学はもともと貴族や皇族の馬を治療するところから発展しました。その後、人と動物の関わり合い方が時代によって変化し、獣医師が犬を診るようになります。当初は馬の治療を犬に応用しましたがうまくいきませんでした。いまでは常識ですが、犬と草食動物である馬では臓器の形や機能が違います。同様に犬の医学を猫に応用してもうまくいかないというのが、前途の言葉の意味です。今後はAIMのように「猫の〇〇病」というアプローチから治療を考えることで、猫独自の新薬が開発されるのではないかと思います。まだまだ猫医療では治してあげられない病気が沢山あります。新しい薬の研究が進み、多くの猫が元気に寿命を全うできることを願います。
山本宗伸 / やまもと そうしん
Tokyo Cat Specialists 院長
日本大学獣医学科外科学研究室卒。東京都出身。授乳期の仔猫を保護したことがきっかけで猫に魅了され、獣医学の道に進む。獣医学生時代から猫医学の知識習得に力を注ぐ。都内猫専門病院で副院長を務めた後、ニューヨークの猫専門病院 Manhattan Cat Specialistsで研修を積む。国際猫医学会ISFM、日本猫医学会JSFM所属。